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ユースホステル協会
     
テ レ ホ ン 法 話
 
当宗門の住職に毎週お話いただいております。
是非お聴き下さい。
( TEL 077-579-0874 )


   
10月5日 滋賀教区 太光寺住職 八耳哲也師

『挨拶とお念仏』

  「こんにちは」「 ハロー 」「 ナマスティ 」「 ボンジア 」「 ニーハオ 」・・・
それぞれの国には挨拶という素晴らしい習慣、文化が引き継がれています。

  挨拶 」の「 挨・あい 」は、自らの心を開き、相手の気持ちや思いに近づくこと。
  挨拶 」の「 拶・さつ 」は、その心を受け止めて自らの心を開くことでもあります。つまり、挨拶とは、心と心のやり取りであり通い合いのことです。
  でも、今の世の中、本物の挨拶がなくなりつつあります。  確かに便利な、あの携帯電話。その電話が話する道具から、今では電報よりも速く一瞬にして、文字・メールを送信できる道具となっています。
  ある人が、「 キ・ラ・イ 」という文字を三文字送信しました。それを受け取った人は、その文字にいらついて相手を傷つけました。本当は、「 スキで仲良くしたいのに、わたしにウソをついたから、そんなあなたはイヤです。」の「 キ・ラ・イ 」だったのです。
  正に、心と心の通い合いのない、文字だけのやり取りとなり、取り返しのつかない悲劇となりました。メールの便利さでは、思いやりや優しさを伝えることはできません。

  ある時、「 タクシーに乗ってやる 」と思っているお客さんと、「 タクシーに乗せてやる 」と考える運転士さんがいたとします。「 乗ってやる 」と思うお客さんは、運転士さんのサービスのなさに腹立てます。「 乗せてやる 」と考える運転士さんは、お客さんの態度が気になります。こんなタクシーの中は、「 乗って 」の と「 乗せて 」の ”で、ややこしい関係にしかなりません。
  でも、「 少々飲み過ぎたのでタクシーに送っていただこう 」というお客さんと、「 わざわざこのタクシーに乗っていただいた 」という運転士さんなら、「 送ってただこう 」の ”と、「 乗ってただいた 」の ”で、
いい関係になるはずです。
  今日、「 若者は、わしが挨拶をしてやっているのに、返事もせんわぁ。」と考える大人のひともいるようですが、押しつけの挨拶は、挨拶ではないのでしょうねぇ。また、文字だけのやり取りだけでは、挨拶ではないのでしょう。
  挨拶は、やはりお互いの心と心、特に『 安心(あんじん)』という心を忘れたくはないのです。幸いにも、わたくしたちは『 お念仏 』というありがたい挨拶をいただいています。
  お念仏の『 』という字は、であり、常に今の心の中に様をいただいているということです。
  宗祖真盛上人様がお説きいただいたように、『 たまたま、人としていのちをいただいた私たちが、すべてを仏様におまかせする心が仏様に伝わり、必ず「 安心 」という喜びをいただくことができる 』のです。
わたくしの今の心におられる仏様とのご挨拶が『 南無阿弥陀仏 』であります。
例え欲に膨らみかけても、腹立たしいことがあっても、例え悲しいことがあっても、「 我が心の仏様がおられる 」ことを忘れないことがお念仏であります。お返しを求めることは、決して挨拶ではありません。お返しを願うお念仏ではなく、よろこびのお念仏を大切に日暮らしをしたいものです。



7月 1日 滋賀教区正法寺住職 早崎功健師

『 時の流れについて 』


こんにちは。月日の流れの早さには驚くばかりであります。
  昨日、知り合いの所へ祥月命日で夕方御回向に行かせていただきました。そこの家の子供さんは、3人おられますが、その全員の方が延暦寺学園を卒業されておられますが、久しぶりに出会う事が出来、懐かしい思いでした。
  御回向が終わり久しくあってなかったので、ついつい口から出た言葉が、
  お姉ちゃんは、卒業してから何年になるのかな?」と聞くと、「 えー!」と言いながら、「 だいぶ経ちますね。」という返事でした。追求はしませんでしたが。。。
次女の妹さんに「 あんたは?」と聞くと、間髪もなく「 私は44歳になります。」との返事でした。
私はしばらく黙っていました。返事に困ったからです。
ちょっと待って。44歳? いいとしになったな!」本人は笑っておりました。長女のお子さんが、聞くところによると大学を卒業され、次女の方が大学3年とのことでした。
ほんの数年前に高校生であったように思っていたはずのものが、今は立派な母であることに、改めて時の流れの速さに驚くばかりでありました。
私の家族も同じようなことで毎日が、孫との戦いみたいなものであります。 お互いに大変ですね、と言いながら、「 今日の御回向の中にこんな言葉がありますよ、少し法話を。」と、思い説明をすることにしました。

大経にのたまわく。一切の諸々の世間に生ずる者は、皆死に帰す。盛んなる者は、必ず衰えろう。含会は別離あり。法として常なるもの有ることなし 』という文言であります。自然の姿は留まる事は何もない。これが真実の姿です。だれも逃れることは決して出来ませんよ。『 生者必滅 』『 盛者必衰 』『 会者定離 』ということであります。
  私たちは、その現実を知らない者はまずいないと考えます。ただ、日々の忙しさと個々の愚かさが本当の現実を見たくないし考えたくないというのが本音でしょう。お互いに今を大切にしていきたいものですね。

  娘さんに「 最後にあと数年したら50歳を過ぎてしまうよ。」と言うと、「 うううー。」と言うだけで返事は帰って来ませんでした。

本日の法話はとりとめもないもののようですが、刻一刻、時間の流れが襲ってきている事を認識した毎日を送りたいものです。ありがとうございました。



2月20日 滋賀教区大仙寺住職 土永冏順師

『 勿体ない 』


  暦の上では春になりましたが、まだ寒い日が続いています。皆さんお元気ですか?

  寒い朝、庭に出ると春の雑草が芽を出していて、その上に霜がおりています。自然の息吹を感じます。植物は太陽の光と新鮮な空気と水があれば、旺盛な生命息吹を発現しています。私たちは、この自然の息吹によって食べ物を得て健康な日暮らしをさせていただいております。感謝しなければなりません。

  世の中は、100年に一度といわれる不景気で、多くの人々が職を失い、住んでいた社員寮を追い出されて苦労されていますが、これらの人々を雇っていた企業は、政府に援助を求めるために自家用の飛行機で要請にやってきたというではありませんか。これはアメリカのお話ですが。

  私たちは、便利で快適な生活を営むために、ありとあらゆる商品を生み出してきました。その一つ一つをよく観察してみますと、本当に必要な品物はどれだけあるのでしょうか? ペットボトルに入った水が売られています。それも地球の向こうから飛行機で運ばれてくるモノまであります。日本に住んでいて本当にその水が必要なのでしょうか。

また排気量が5000ccを超える立派な車若者がエンジンの音を響かせて走っていますと、なんだか寒気を催すのは、物の無い時代に育った私だけでしょうか。どこかおかしいと思われます。

  私たちの生活は、本当にこれで良いのどうか、日々の営みにおいて、今一度考えてみたいと思います。食べ物は勿論のこと、移動の手段や余暇の過ごし方において、自分の身の丈に合ったものであるか振り返ってみましょう。私たちは生かされているのですから。


2月2日 滋賀教区 盛安寺住職 大窪功真師

『 信心の大切さ』


  こんにちは、滋賀教区滋賀南門中 盛安寺住職の大窪功真です。

  昨年のアメリカのサブプライムローンに始まる百年に一度といわれる世界経済の悪化、この1月にはオバマ新大統領の誕生など、世界は激変・変革の時代を迎えております。日本においても暮れからの派遣社員切りや若者の就職内定取り消しの問題など、皆が将来の生活に不安を感じながら、新しい年がスタートしました。

  さて、日本仏教の祖である聖徳太子は「 世間虚仮・唯仏是真 」と言われました。人の世はコロコロ移り変わるものであり、唯一変わらないものは仏のみ教えだけある。また、龍樹菩薩は「 仏教の大海には信を以て能入となす 」自分の中に信心がなければ仏教の入り口にはたどりつくことはできないと言っておられます。

  本宗の御開山真盛上人は、応仁の乱の頃の大変な時代を生きられた方です。そして。濁世末代の乱れた世にあっては、「 道心念仏 」こそが救いの道であると確信されました。道心とは天台宗を開かれた伝教大師の「 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり 」という言葉にもありますように、自利利他のこころであります。人間はこの世に生を受けている限り欲はなくなりません。しかし、人のことより自分のそろばん勘定だけで行動すれば、世の中はますます無茶苦茶になってしまいます。いろいろな事件を考えてみますと。自分の義理や責任を果たさず、他人をだましてまでお金もうけをする「 己を忘れて、他を利用する 」そんな人間のいかに多いことでしょうか。

  天台真盛宗檀信徒として、人を思いやる優しいこころを持ち、ご先祖さまに感謝し、また御開山真盛上人や阿弥陀さまの救いを信じて、この一年を明るく元気に過ごしていきたいものです。

ナムアミダブツ。


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